ニキビはしつこい

ニキビはなかなか離れてくれません。毎日のケア洗顔、ボディソープ等で常に清潔に保つ努力は効果なしです。
皮膚病院に見てもらっても結局塗り薬をくれるだけです。皮膚科病にくれた塗り薬ではニキビが悪化するばかりです。ネットでニキビケアのクリーム探しました。口コミも良かったので、メルラインを購入してみることにしました。
検索したサイトで、メルラインの口コミを参考にしました。
色々ありましたがどの薬品が合うか分からないのでまず購入し使い切るまで数ヶ月間試したりしました。ニキビが治ったあとでも、ケアは続ける必要があります。自分のあったニキビケアの塗り薬があるのであれば 再発防止のため塗り続けたほうがいいです。
ニキビが沢山できるとケアが大変です。潰したニキビ跡が付きます。そのニキビ跡のケアもまた大変です。
ニキビ跡を治す塗り薬は別の薬品なので また 探します。探すのに苦労します。自分のあったニキビケアの塗り薬で再発防止のため塗り続けることで心のケアにもなります。一つの悩みを消したから心から元気になって明るくなります。ですので 絶対に諦めないで自分のあったニキビケアの薬品見つけ出すことです。元気になってニキビに気を使わなくファッション等に幅広く楽しめるようになってきます。
化粧で隠したり必要がなくなる分 時間も短縮ですみます。ニキビケアの苦戦の努力から開放したら楽しいことばかりです。

食い倒れの旅

今日は友人から誘われて、食い倒れの旅に行ってきました。と言っても、ただ外食でお腹いっぱい食べるだけですが(笑)
まずは、友人オススメのラーメン屋。
私もラーメンは好きなので、今までいろいろなお店に食べに行ったりもしてましたが、今までで1番こってりした豚骨スープで濃厚!
チャーシューもトロトロでした。
少し家からは遠いですが、今度は自分でも食べに行こうかな、と。なんだかクセになるラーメンでした。
そして、少し時間を置いてから焼肉屋さんへ。
空腹では決して無かったですが、やはり焼肉というものはテンションが上がりますね。
久しぶりの焼肉で、メニュー表を見ては、たくさん注文。次々に運ばれてくるお肉を焼いては、大盛りご飯と一緒に食べていましたが、明らかに頼みすぎました。
こってりラーメンを食べたからか、焼肉の脂身を食べすぎたからか、途中から胃もたれ。
しかし、今日は食い倒れの旅!いける所までいってやろう!と、運ばれてきたお肉をひたすら食べ続けました。
もうこれ以上は食べれない、お腹パンパンという状態で焼肉屋を出た訳ですが、友人の
「デザート食べにいくよ!」
の声。女性は甘いものは別腹という人が多いですが、さすがに私は無理でした。
生クリームたっぷりのパフェとチョコレートケーキを食べる友人を見て、すごいなぁ、とただただ感心。次回はデザートまで付き合いたいと思います。

北極と南極の違い

今日は勉強会で友人たちと北極と南極の違いについて考えてみました。
決定的な違いは、地理的な観点でみると、北極は「海」であり南極は「大陸」であるという点です。
これにより、北極海には国連海洋法条約という海の法律が適用されます。
北極圏には先住民が狩猟や漁業をしながら生活していましたが、南極には先住民はいませんでいた。
南極大陸は1820年に発見されましたが、発見者については諸説があります。
第二次世界大戦後、南極大陸の資源開発や軍事戦略的利用に国際的な関心が高まります。
南極大陸の発見・探検、大陸との近接性・連続性から領有権を主張する国が現れました。
この7か国をクレイマント(イギリス)、大陸の領有に反対する諸国をノン・クレイマント(アメリカなど)と呼ぶそうです。
結局、人が住んでおらず諸国家の実効的な支配が及んでいないとされる南極大陸は、国際化地域にしようという取り決めがなされました。
これを「南極条約」といい、1959年に制定されました。
北極はこの点、スヴァールバル諸島というノルウェー所轄の島を除いては国際化はなされていません。
南極条約が南極大陸の非軍事化・非核化を定めているのに対し、北極地域には平和利用を規定する取り決めもまだありません。

あっけないもの

昨日、親しくしていた人の、通夜と葬儀を終え、遠方より帰宅した。一月前、病院へお見舞いへ。以前とは変わり果てた姿で、受け答えは分かるものの、病気と闘っているお姿に「頑張れ」とも言えず、かける言葉少なく離れた。その後、一月後に他界される。お元気で要らした頃の記憶。先日、病院での様子。そして、今度の再会は、もっと小さくなって硬く目を閉じたお姿。私より大きかった方が、ご生存の頃の半分くらいになって。お通夜で、旅立ち、棺桶に入る儀式の後、葬儀、そしていよいよ火葬場。納骨までお付きあいさせて貰う。通夜の旅立ち前から、今度はもっと小さくなり、骨の姿に。どんどん小さくなっていかれる姿に、切なく、虚しく感じた。どれほど業績を上げた方も、静かに生きてこられた方も、自分を犠牲にされた方も、思う存分過ごせた方も、最期、肉体は同じ姿になる。人の価値はどんな人でも同じで、生きているときに、どれだけ悲しく、不快な思いをさせられたとしても、相手のことを尊重した方が、本当にその人がいなくなった時に、後悔が少ないのではないかと思った。それと同時に、いつ、どんな時にも誰にでもなるべく不快な思いをさせないで、つまりそれが相手を敬うことになるのだろうが、人と接して活きたいと、強く感じた。過去の思いだけに囚われれば、悲しみだけが残るが、肉体と魂の関係から着目すると、現世から他界へ向かう準備の後、出棺から、骨になって現れたとき、無事にあの世への向かっているよ、というメッセージにも受け取れた。生きることを身をもってお知らせしてくれた、他界された知人へ今一度、お礼申し上げます。

女子バレンタインパーティー!

2月14日はバレンタインデー。ということで、今日は私の家でサークルの女子仲間とバレンタインパーティーを行いました。皆が一度はやってみたい!という声が多かったチョコレートフォンデュを実施することに。機械は友人の一人が持っていたので、持参してもらいました。
マシュマロやビスケット、いちごにバナナにキウイなど、皆で食べたいと思う食材を持ち寄りました。ポテトチップスを持ってきてる子がいて合うのか不安だったのですが、食べてみるとすっごく美味しかったです。チョコレートの甘さとポテトチップスの塩気が絶妙に合わさっていました。聞いた話だと、北海道にはポテトチップスにチョコレートをかけたお土産があって、大人気なんですね~。
バイトがあって途中から参加してくれた先輩が、私たちのために手作りのチョコレートを作ってきてくれました。結構食べたはずなんだけど、本当にみんな甘いものに目がなくて。私もなんですがね。
その先輩が作ってくれたチョコが、抹茶パウダーを振りかけた生チョコレート。本当に売り物みたいにキレイで、味も甘過ぎなくて丁度よかったです。あっという間にチョコレートがなくなってしまいました。先輩のチョコを食べられる彼氏さんが羨ましいと思いました。
そしてなんだかんだで夜10時にお開き。こんなバレンタインも幸せだなぁと身を持って感じた1日でした。

最近漫画にはまってます。

タイトルの通り、最近漫画を読むことにはまっています。昨日ネットカフェに行って読んだのは「きょうのキラ君」という漫画です。

ヒロインがキラ君に恋をして段々とものすごくかわいい女の子になっていくのがみていてすごくキュンキュンしました。あとは「アオハライド」という漫画。

洸というヒロインが恋する男の子がいるのですが、この洸の言動がいちいちかっこいいんです。自分されたらキュン死にします。でも漫画の中だからいいなって感じるのかもしれませんがね…(苦笑)それから「進撃の巨人」です。

これはですね、もう本当に読んでいて漫画の中に引き込まれる話です。えーこの人殺しちゃうの?!って悲しくなることもあるのですが、設定がしっかりしているのでとても読みやすくおもしろいんです。初めはアニメをみておもしろいと思ったのがきっかけですが、この作品に出会えてよかったと思ってます。

それから「黒子のバスケ」です。このお話完結しちゃいましたね。寂しいです。自分自身小学校からバスケをやっていて全国大会にも出ていたので入りやすいお話でした。

ウインターカップなんて会場まで再現されてて本格的だなと感じました。でも経験があるからこそ、このプレイはどうやったってありえないだろ(笑)って思ってどうしてもかっこいいって思えなかったりしました。でも勝ちに向かって一生懸命プレイする姿にはとても感動しました。途中何回も泣きました。

私にとって漫画は現実逃避するための道具だったりするのですが、感動させられたりキュンキュンさせられたり幸せな時間をくれる大事なものでもあるのです。これからもたくさんの漫画に出会って読んでいきたいです。

『絶望の裁判所』の読書感想文

瀬木比呂志著の『絶望の裁判所』(講談社、2014年2月20日発行)の読後の感想について述べます。
著者は元裁判官であり、裁判所内の序列が具に述べられていました。
裁判所では裁判官同士の嫉みや昇進、保身といった思惑が交錯する人間臭い世界が繰り広げられていた。
裁判官も雇われの身であり、仕事内容について評価される立場にある。
それゆえ、仕事はいかにスムーズに効率よく案件をこなしていくかに重きがあり、民事事件に関しては和解を勧告するケースが多いという。
そうして、自己の保身に走る裁判官を、作者は「ヒラメ裁判官」と呼ぶ。右ならえの裁判官が日本中に溢れているのだ。
民事事件に限らず、刑事事件についても弊害が出ている。
裁判官が被告人の有罪無罪の審理をするべきなのに、実際のところは検察官が有罪無罪を決めている現実がある。この状況が冤罪の温床となっている。
ここまで読んで、いったい裁判とは誰のための何のシステムなのかと憤るばかりである。
殊に、足利事件のような有名な冤罪事件があるが、今日までにどれだけの冤罪事件が生まれてきたのだろうか。足利事件は氷山の一角に過ぎず、痴漢事件などの事件でも、恐らく冤罪事件がたくさん生まれているのではないだろうか。
この裁判所内の、特に裁判官の意識が変わらない限り、裁判所には希望は訪れないだろう。