あっけないもの

昨日、親しくしていた人の、通夜と葬儀を終え、遠方より帰宅した。一月前、病院へお見舞いへ。以前とは変わり果てた姿で、受け答えは分かるものの、病気と闘っているお姿に「頑張れ」とも言えず、かける言葉少なく離れた。その後、一月後に他界される。お元気で要らした頃の記憶。先日、病院での様子。そして、今度の再会は、もっと小さくなって硬く目を閉じたお姿。私より大きかった方が、ご生存の頃の半分くらいになって。お通夜で、旅立ち、棺桶に入る儀式の後、葬儀、そしていよいよ火葬場。納骨までお付きあいさせて貰う。通夜の旅立ち前から、今度はもっと小さくなり、骨の姿に。どんどん小さくなっていかれる姿に、切なく、虚しく感じた。どれほど業績を上げた方も、静かに生きてこられた方も、自分を犠牲にされた方も、思う存分過ごせた方も、最期、肉体は同じ姿になる。人の価値はどんな人でも同じで、生きているときに、どれだけ悲しく、不快な思いをさせられたとしても、相手のことを尊重した方が、本当にその人がいなくなった時に、後悔が少ないのではないかと思った。それと同時に、いつ、どんな時にも誰にでもなるべく不快な思いをさせないで、つまりそれが相手を敬うことになるのだろうが、人と接して活きたいと、強く感じた。過去の思いだけに囚われれば、悲しみだけが残るが、肉体と魂の関係から着目すると、現世から他界へ向かう準備の後、出棺から、骨になって現れたとき、無事にあの世への向かっているよ、というメッセージにも受け取れた。生きることを身をもってお知らせしてくれた、他界された知人へ今一度、お礼申し上げます。